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やませれのCerezo Blog ~ここにしか咲かない桜~

セレッソについて書いたりしています。写真とかのせたり思ったことをつらつらと。。分析とかもできません、写真も良くはないかもしれない、ただセレッソが好きなので書きます。

ポルトガル語で、ありがとうはobrigadoだったよね。

セレッソ 詩的

あなたは今、笑っていますか?

それとも泣いていますか?

そのどちらでもないでしょうか。

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どれであっても、感謝をしたい。笑えるということに、泣けるということに、どちらでもなくただ平凡だということに。

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生きる、ってことは思っているより辛い。全てを目の当たりにしてしまうから。全てを現実として受け止めないといけないから。

それでもみんな生きるのは、それ以上に何か嬉しいことがあるから。楽しみがあるから。帰りを待ってくれている人が何処かにいるから。

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生きていれば、何かとの「別れ」は幾多もある。

別れる、ということはどこかで「出逢った」からで、それが悲しいのは「良い出逢い」だったからだろう。

どこかで事故が起こった、甚大な被害が出た、悲しみに暮れる人がテレビに映される。僕はそれに胸がとてもとても痛むだろう。でも時が経てば忘れるだろう。

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そんな風に僕らはきっと、殆どのことをいつか忘れるだろう。でも、忘れるから生きていける。忘れられるから、楽しみを楽しいと感じられる。

もし全ての出来事を忘れられなかったら、誰も生きていけないだろう。時間が経つというのは残酷だけど、前に進むには必要なことだ。

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でも、僕の言う「忘れる」は決して、記憶から無くなるということではない。心から消えるというわけではない。

だから、その日の悲しみはいつになっても思い出すし、突然息苦しくなったりすることもある。

そう、その人達のことが完全に無くなってしまう訳じゃない。陳腐な表現ではあるけれど「心の中で、ずっと生きている」から。

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誰しもにいつか別れが訪れるだろうし、自分がいつかその当人にもなるだろう。だから、今生きている私達くらいは、前を向いていかなきゃいけない。後ろに戻ることは僕らには出来ないのだから。

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ここまで読んでくれてありがとう(obrigado)。意味は伝わらないとしても、目を通してくれてたら、ありがとう(obrigado)。

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